AI先生について④

現在のAIは感情が持てません。
Google社のAIが初めて猫を認識するのに1千万枚のネコの動画からの画像データを必要としました。
大学入試の英語長文でもここ数年はAIに関するものが多かったのですが、昨年度はAI万能主義に疑問を呈するものが多く出されています。
例として、島根大学の英語長文で次のような内容のものが出題されました。
ある雑貨店の店長をAIに替える実験をした大学の研究者グループの論文が元になっています。
AIは過去のデータを徹底的に分析し、最も効率よく利益を出す目的に特化しています。
過去のデータを見ると、ある歯磨き粉の値段がかなりの幅で変動していたのですね。
ところが値段が高い時と低い時で売り上げ数が変わっていないとAIは判断し、値段が高いままで売り続けました。
結果は、数ヶ月後には売り上げは半減したそうです。
人間の店長は、他店のセールや新製品の登場などを考えて値段の上げ下げを臨機応変にしていたのです。
AIはそこまで気がつかない。 なぜか。売り上げを伸ばしたいという感情がないからです。 要するに因果関係が分からない。
ニワトリが鳴くと太陽が昇るのかその逆なのかが、人間ならば子供でも直感的に分かるのに現在のAIにはそれができない。
自動車で、どういう車種でどういう色のものが売れているのかはAIは分かります。
しかし、ハンドルがブレーキより上にあるということを知りません。
人間にとって当たり前のことはカタログなどのどこにも書いていませんのでデータとして取り込めないということです。
我々教育に関わるものは常に揺れる心を持った若い人を対象にしています。
AIで出来ることはAIで。という発想がそもそも教育には向かないと思います。
人間を育てるのに人間が関わらなくてどうするのですか。
知識の伝達も人間が人間に対して愛情を込めて次の世代に伝えていくことにこそ意味があると思っています。
成績管理や、志望校データのような資料収集、分類にはAIは適していますし、既にその分野では導入されています。
もちろん私もそこは利用しています。
しかし知識や文化の伝達、継承に関しては、「効率化」や「人件費の削減」のような経済原理が最も適していない分野だと思います。
私は授業の際、解説する前もしている最中もした後もずっと高校生の表情を見ていますし、過去に間違えたところ、理解できたところすべて表情とセットで頭に入っています。
わからない部分の掘り起こしも当然します。
その部分は、私はAIに任せる気には到底なれません。
表情を見ながら授業をしないと一人一人の思いが伝わってきませんし、こちらの思いも伝わりません。
人から人へ。 これが教育の根幹であると思うのですがいかがでしょうか。