AI先生について③
泉野塾 塾長です。
AI先生の3番目の背景について思う事を書いてみたいと思います。
一言で言いますと「効率化第一主義」が教育業界には根強くあるということです。
勝手に送られてくる塾の業界誌でも、いかに少ない人間で多くの生徒を管理するかという記事ばかりです。
そこに、「AI」というものが、万能オーラ全開で現れたわけです。
ただでさえ人件費を削減したいわけですから。
しかし、実際には現在のAIは万能ではありません。
ある目的、例えば囲碁に勝つという目的に特化したものであれば素晴らしい能力を発揮しますが、それ以外のことはできません。
もし万能であるならば、なぜ共通テストの採点にAIを使わないのでしょう?
AIを使うと言えばそれですむことです。
現に今センター試験を採点しているのはマークを読み取る機械ですからそれがAIに切り替わるだけで、国民は納得すると思います。
それができない。
単なる採点ですよ。
それこそビッグデータは既に持っているわけですから、できそうなものでしょう。
しかも採点基準が存在しているのにもかかわらず。 学生アルバイトより劣るという事です。
単なる採点業務においてすら信頼性がないと判断されているAIを「先生」または「講師」として教育現場に導入するという発想はどこからくるのか。
要するに、生徒のデータ管理でしょ。
生徒がよくやるミスをデータ化してそれに沿って問題を出す。
必要があれば前もって収録してある人間の講師の講義を映像で流す。
この製品を否定しているわけではありませんし、うまく利用されれば良いなとは思います。
しかし、「AI先生」とわざわざ大きくとり上げてAI万能感を煽ることは、実体以上の期待感を持たせて結果的に、期待外れとなり、単なるブームで終わる過去の失敗の繰り返しに結びつきかねません。
昨年の参議院の法務委員会でのAIに関するまとめの文書にも同じ趣旨のことが載っています。 (AI先生について④に続く)